2018年12月21日金曜日

花音のキセキ③

ピアノのことを書いたので、ピアノにまつわる花音の奇跡。

2015年6月28日。
森香さんとフェイターンさんのライブがあった日。

まきねぇ(出雲麻紀子)とうかキョンさんが観に来てくれた。
イトギクモナカというユニットを組んでいるふたりだけれど、この日はお互い来ることは知らずに来たらしい。

ライブ後、花音のピアノがフェイさんと同い年という話になり、うかキョンさんとまきねぇもフェイさんと同い年だったことから、意気投合♪

その後、三人は期間限定でユニットを組むことになり、各地でライブを行い、50歳の記念にCDも発売。
「生生(なまいき)」はこうして生まれた。

来年の生存確認ライブが花音でできなくて淋しい。

花音のキセキ②

花音の奇跡。

花音を始めた時、ピアノはまだなかった。

普段ピアノの弾き語りをしている田中智子さんがライブをすることになり、ピアノがないから、最初アカペラでやると言っていた。

ライブ当日の朝、大家さんがいつものようにカウンターでお話していて、
「ピアノがあるといいよねぇ。うちに弾いてないピアノがあるから持ってこようかねぇ。」
という話に。

大家さん、なんとその場で電話をかけ、ピアノ運送の手配と調律の手配をしてくれて、その日の夕方にはピアノが運ばれ、リハーサル直前に調律も完了。

その日のライブに間に合わせてくれたのです!

大家さんの行動力、素晴らしいです。

ちなみに、このピアノは1967年生まれ。
マスターと同い年です。

2018年12月8日土曜日

花音のキセキ

思えば、花音を始めたのも奇跡だったと思う。

2014年の1月からダンナと付き合うことになり、5月に子どもを授かったことがわかり、6月に入籍。

当時、大阪と愛知で遠距離だった私たち。子どもを育てるなら、私の部屋の方が広いからと、仕事を辞めて愛知に来たダンナ。

1ヶ月たっても新しい仕事は見つからず、私は昼、夜かけもちでバイトしていたけれど、昼間のバイトは私の妊娠がわかった時点で新しく人が入ったので、7月にやめなければならず少し焦っていた。

そんな時、たまたま近くのカフェが閉店することを知り、自分でカフェをやることに憧れていた私。物件を見てみたくてふたりで夜に場所だけ見に行き、翌日、ダンナが不動産屋さんに連絡してみることに。

「物件見に行くことになった」
というダンナ。

でも、それは見たかった物件ではなく、なぜか名古屋のかなり広いBarの物件。
他にも撮影スタジオとして使われていたおしゃれなBar仕様の物件。

不動産屋さんに案内してもらいながら、「この人お金もないのに、何考えてるんだろう。」とダンナに対して思っていた。

私が仕事中も何軒か見せてもらっていたらしく、みんな元オーナーの思いは、思い入れのあるお店だから、そのままの形で使ってほしいという話だった。

稲沢のお店を見せてもらった。
夕方、不動産屋さんではなく、オーナーの娘さんが案内してくれた。オーナーであるお父様がご病気でお店を閉めることになったそう。

洋風な造りの喫茶店で、建物の両側が塔のようになっている素敵な建物だった。
中に入るとホールの真ん中にグランドピアノがあり、ピアノの周りにテーブルが配置してあった。
娘さんふたりはピアニストで、お店でコンサートを時々行っていたそう。
父親の、娘への愛がこもったお店だった。
厨房もすごく設備か充実していて、こんなところでやれたらなぁ。と少し気持ちが動いた瞬間だった。

このお店もやはりそのまま使ってもらいたいという思いが強いお店で、なんとか引き継げないかなという気持ちになっていたけれど、結局先に検討していた方に決まってしまった。(後日、お店を見に行ったら、中華料理屋さんになっていて悲しかった。)

その次に紹介してもらったのが、今の物件。中を見せてもらった。いい物件だった。厨房も使いやすそう。
ダンナがかなり気に入った様子。
私はやることに決めた。

自分でも何考えてるんだろう。って思った。お金そんなにないし、子どもも生まれるのに。それでも、もしダンナの仕事がこのまま見つからなかったら?私もバイトいつまでやれるかわからないし…。
私はやることに決めた。

うちの親に結婚と孫ができたことの報告と、お店の保証人のお願いをまとめてしに行った。お店のことは絶対に反対されると思っていた。でも、孫ができた喜びが大きかったようで、びっくりするくらいあっさり承諾してくれた。ダンナのことも何も聞かれなかった。

契約にあたり、収入証明書の提出が必要になったけれど、ダンナの分が提出できず、保留にしていたら、大家さんから面談をしましょう。ということになった。

面談当日。
大家さんにここでやりたいという思いを熱く語るダンナ。
結果、収入証明書を出すことなく、「それじゃあ、やってもらおうかね。」
と大家さんから許可がおりて、お店をやれることになった。

こんな風に花音は始まった。